ボランティアという名の”タダ働き”

最近、気掛かりなこと。
ボランティアの名を借りた”タダ働き”が横行している気がするのです。

ボランティアって、自発的に行うのが基本なのではないでしょうか。
新潟県中越地震の時に、現地へ駆けつけた皆さん。立派だと思います。
他にも、災害の時には多くの人が、ボランティアとして、見ず知らずの人のために汗を流しています。見習うべきことだと思います。

でも、こういうのってどうなんでしょうか。
例えば、愛・地球博。
愛知県のホームページに、こんなのがあります。
おもてなしボランティア活動
愛・地球博ボランティアセンターのホームページにはこんなのも。
愛・地球博ボランティアについて
この内容って、立派に、お金もらってする仕事なのではないでしょうか。

万博に参加する事が記念になるからって、ボランティアって名目で人を集めてタダ働きさせるのって、どうなんでしょうか。(それも、15,000人もです。1人・1時間・時給1000円で働いただけで、1500万円です。)
お金を節約したいのなら、万博協会の天下り役員に、まずボランティアで働かせればいいじゃないですか。

正規従業員を募集しても集まらないから、仕方なくボランティアを募るというのなら理屈がわかりますが、”まずボランティアありき”で、労働の対価が正当に払われないというのは、問題なのではないかと思います。

他にも、役所主催で「○○クリーン大作戦」なんて呼び名で、ゴミ拾いを市民にタダでさせたりしますが、根本的な施策を横においといて、”タダで働いてくれる人に街をきれいにさせよう”的な発想とか。

善意を悪用せずに、もっと、根本的なところを改革する必要があるのではないかと思うのです。

こんな事ばかり、書いていると、すごく嫌な人ですが・・・。

僕だって、万博は楽しみですし、街をきれいにする事だって賛成です。
でも、こういう”正直者が損をする”的なことを、役所が募集するのって、おかしいと思うんですよね。

みなさん、どうなんでしょう?

「ボランティアという名の”タダ働き”」への5件のフィードバック

  1. 検索してちらりと見えたので伺いました。
    目の覚めるような切り口ですね。確かに反論すべき核が私にはありませんでした。
    お役所からの募集やお金を払うべき仕事では?という点では、語るべき所の無い私ですが、
    少なくとも今回の万博に参加するボランティアの方々は、
    自発的であると思います。
    参考リンク(ちょっと重いです)
    http://www4.shizuokaonline.com/hanahaku/news04100904.htm
    もうちょっとうまく伝えられればいいのですが。

  2. これは、おもしろいですね。まったくその通りだと。「フジ・ライブドア」の記事を読んだときにも思ったのですが、説得力のある文章がうらやましいです。
    ボランティアする方からしたら自己満足というおおきな対価をもらってるんでしょうね。大きなイベントですから、参加できるだけでも満足っていうボランティアの方々が多数いることは想像つきます。でも、それを知っててタダ働きに利用するってのは。。。。そんなことはないと思いますが、きっとそうなんでしょう。

  3. コレ、まずいですね。
    昨年開催された『浜名湖花博』のときもこういうボランティアがあったと記憶しています。
    地震や非常時の災害にボランティアで行くのとは意味が違います。
    基本的には労働の対価は払わないといけないでしょう。
    大切なことは、誰かが困っているから参加しているのではないということ。
    我々『設計事務所』でもオープンデスク等と言って学生をただ働きさせようとする人達がいますが、僕はこれには反対しますね。
    どんな場合であれ私用であるのならば、基本的には労働基準による最低賃金は払うべきだと思います。
    お互い生活がありますから…。
    自分が働かなくても生活が成り立つ者のみがボランティアに参加することが出来る現実はおかしいと思います。
    自衛隊は無料で参加していますか?
    公務員は無料で参加していますか?
    彼らは金銭的に守られているから参加出来るのです。
    僕は最低限のルールは造られるべきではないかと思います。

  4. 愛知万部郎さん。アイザワさん。KONさん。ご意見ありがとうございます。
    とりえず、誤解があってはいけませんので書いておきますが、僕は基本的にはボランティアという趣旨のことには賛成で、いろいろなところでボランティアする人を見ると尊敬してしまいます。僕は、否定的な考えの持ち主なので、ついつい、社会に対する不満を口にしてしまうのですが・・・。人のために働こうという意思のある人はすばらしいと思います。しかし、そのボランティアの定義を拡大解釈してはいけないと思うのです。
    ボランティアが必要かどうかとは、困っている人がいるのかいないのか?
    それに対する対価を、支払うことが可能なのか、不可能なのか。
    不可能なのであれば、自発的に慈善行為をしてくれる人に助けてもらうしかないのだと思います。
    災害被災地などのボランティアの場合、ボランティアセンターはボランティアの募集をするのではなく、自発的にそこまで来た人のとりまとめとか、人員の割り振りなどを行うのではないでしょか。
    では、愛・地球博の場合どうでしょうか?
    僕は、愛・地球博ボランティアセンターの設立経緯とか、詳しいことはわからないので、一部無責任な発言があるのかもしれませんが、おそらく、主催者とは切り離せない関係の団体だと思っています。
    もしそうだとしたら、そのような団体が、ボランティアを語って、労働力を確保するのであれば、それこそ違法行為だと思います。
    また、「ボランティアの定員15000人」と決まっていることにも、憤りを感じていたりします。ボランティア研修が必要だからということらしいのですが、”15000人を超えた善意は不要です”と言っているようなものなのではないでしょうか。そういうところも、善意の気持ちが欲しいのではなく、労働力が欲しいとしか思えないのです。
    万博は、入場料を取って、営利的な性格もあるイベントです。入場料を取って、来ていただいたお客様をもてなすのが、主催者の人間ではなく、勝手に来て案内してる人というのも問題があると思います。入場料を払って入場した人にとっては、正規のスタッフもボランティアも関係ありません。ボランティアだから、本来受けられるサービスが受けられないというようなことがあるのならば問題だと思います。
    そんなこんなで、僕は、スタッフには労働の対価をしかっり払って、責任ある仕事をさせなければいけないと思うのです。
    あと、ボランティアに参加する方たち、確かに自発的なのですが・・・。その力をもっと、社会的に有意義なことに使ったほうがよろしいのではないでしょうか。
    僕は、やはり、いろんなところでボランティアが都合の良い解釈で利用されてると思っています。「そういうのは違う」というのを示さなければ、根本的な問題が解決されていかないのではないでしょうか。
    タラタラ、長い文章を書いてしまいました・・・。
    別のエントリーをもう一つ書いたほうが良かったと反省している私でした。

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