エリートは建築界を救えるのか

僕は実際にこの記事を見てないので、お恥ずかしいことなのですが、“日々喜怒哀楽”さんに、一級建築士の資格についての見直し案のエントリーがあったので、遅ればせながら・・・。

この記事によると、一級建築士資格の見直し案として、免許取得に当たっての実務修習(インターン)の制度化、受験資格の最終学歴の見直し、一定期間ごとの講習の義務付け、既存有資格者に対する知識の崔考査などが検討されているらしい。

これらの見直し案について、僕の個人的な意見を言わせてもらえば“お笑い種”である。

今回の耐震偽装事件は、建築士の技量の問題ではなく、モラルの問題であると思う。
モラルの問題というのは、資格試験を難しくすれば無くなるというものではなく、社会に対する責任感、仕事に対するプライドといったものを持てる環境を整備しなければ改善されないものだと思う。
国交省は今回の対策で、エリートしか資格を持てないようになるので、当然建築士の資質も向上するとでも考えているのだろうか?

僕にはそれ以上に問題のほうが多いように見えてならない。

まず、実務修習について。
受験をする段階で、すでに実務経験を義務付けられているのに、どうして実務修習なんてものが必要なのか?
逆に、実務経験以上の高度な実務を要求されるとすれば、それを受け入れる機関がどれほど存在するのか?
そんなことをするよりも、有名無実化している受験時の実務経験の審査をもっと厳格にするべきではないのか?

次に、これらのことを実施した後に、建築士の社会的な地位が向上するという担保が何も示されていないということ。
今回の耐震偽装事件の背景には、建築設計実務の重層化、設計施工の分離が明確に制度化されていないといった問題があると思う。
そのために、構造などの専門技術者は常に下請けという立場で、設計に対する何の権利もなければ、なんの義務も負わないという、非常にまずい環境を作り上げていたのではないだろうか?

高度に、専門化した現在の設計において、意匠の設計者が構造や設備の専門的な内容まで、すべて把握して指摘するのはまず無理は話なのではないだろうか?僕の個人的な意見では、意匠の設計者がそんなところまですべて責任を負うべく内容を精査していたら、肝心の意匠の設計が中途半端になってしまうという、本末転倒なことになってしなうのではないかと思う。
僕には、設計において、構造技術者、設備技術者等の専門技術者にも、相応の立場と責任を負わせる仕組みをつくることが重要なのではないかと感じる。

また、政治的な思惑でねじまげられている、設計と施工の未分離という問題を解決するべきである。
今回の耐震偽装事件でも、この業界を悪くしている元凶までは、メスが入らなかった。(と感じる。)
業界の膿を出し切らないままに、資格試験を難しくしたところで、結局、その分のコストを負担するのは最終消費者である国民である。
建築に対する問題を減らすことを真剣に考えているなら、自民党に献金をしている企業は救われるというような風潮を、まず“ぶっ壊す”べきである。

また、国交省や行政は、今回の耐震偽装事件が起きるまで、違法建築に対してどのような対応をしてきたのか?
“何もしてもなかったではないか。”
悪徳業者にしてみれば、まさに“やり得”という状況を作っていたのは、国交省であり行政である。
その当事者たち(国交省・行政・自民党)は、今回の事件を何か反省したのか?

僕は、こいつらに法を遵守する気持ちを植えつけない限りは、資格試験をいくら難しくしたところで、ただの“いやがらせ”で終わるとしか思えないのです。

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