こんな施設だってあっていいと思う

昨日、「養老天命反転地」の記事を書きましたが、ウェブサイトにリンクさせていただいたのだからと、見させていただいていると、掲示板があったのですが・・・。
その掲示板を拝見すると、結構、否定的な意見が見受けられたのが少し気になりました。

例えば、「汚い」(施設が古くなってという意味で)とか、「木が茂りすぎ」とか、「子供が転んで怪我をした」とか・・・。
これらの書き込み、”公営の施設”が”入場料をとって”公開しているのだから、「管理」がされていて当然、という考えのもとでの発想なのだろうと思われますが、私個人的には、少し悲しい気分になってしまいます。

だって・・・
屋外の施設であれば、年月が経てば、痛んで汚れてくるのは当たり前のことであり、ある程度のそれはやむをえないと考えるほうが合理的だと思いますし、個人的な印象としては、出来たばかりの”ペンキ塗りたて””つくりたて”なんて状態のときより、今のほうが”いい味でてる”と感じました。どこかの、人気の某テーマパークみたいに工業製品に囲まれてるみたいなツルピカ加減のほうが、よっぽど不自然だと思うのですが・・・。

また、樹木は大きくなるのがあたり前、これも個人的に受けた感想は”順調に大きくなっている”と感じました。そもそも、完成当初の見通しの良い状態というのは、苗木がヒョロヒョロと植えてあっただけなわけで、あれが完成などと言い放つ人は、造園や公園設計に関しては全くの素人という訳で・・・。つまり、植えてある樹種から言っても、木がどんどん大きくなって、森になっていくことを狙って計画されたものだと考えるほうが自然なのではないかと思います。

またまた、「怪我をした」なんていうのは・・・。
この施設、入り口に、かなり危険だという趣旨の注意書きがあって、次の関所ではヘルメットを無料貸し出しまでしています。ということは、気をつけないと危険なところがあると容易に想像がつくはず。それを、楽しみに来る、いわば”常識はずれな”施設なのだと思います。「自分が不用意だったから、他人のせいにする」では、あまりにも身勝手だと思いませんか?

確かに、公園なのに適正な管理がされて無いという意見はもっとものように感じますが、入場料を徴収して、一般の公園とは一線を引いているということで、「それを目的として、楽しみに来る人たちのための施設」と考えるのが妥当なような気がします。
そういった施設を地方公共団体が入場料をとって運営していることの是非についても、「荒川修作+マドリン・ギンズ野外美術館」を運営していると考えれば、不自然でないような気も・・・。

また、昨日「バリアフリーなんてくそくらえの施設」なんて過激なことを書きましたが、車椅子等の人は十分に楽しめないので、入場料を徴収していないそうです。

これらの、もっともらしい意見に対して危惧してしまうことは(社会生活をしていれば、さまざまなところでそういったもっともらしい意見に遭遇すると思いますが)、すべての批判に対して無難に対処しないといけないと思うあまりに、均質な、どこに言っても同じ、つまらない世界が出来上がっていってしまうということです。
人それぞれ、いろいろな考えがあって、いろいろな嗜好があって、多様な社会が存在するからこそ、面白い日常があるのではないでしょうか?(放っておくと、果たして普遍的な世界なんてものが存在するのか・・・なんて議論になっていってしまいそうですが)

だから、我が子のためには、こういう施設があって欲しいと思うのです。

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