豊橋市公会堂

朝日新聞のbe on sunday 奇想遺産に載っていたので、ついつい・・・

実は私、出身は愛知県の豊橋市でして。
高校は、静岡県の浜松市でしたので、浜松出身だと思われてる方も多いようですが・・・。

子供のころ、路面電車に乗って、この豊橋市公会堂の前を通るたびに、あの建物は何をするところなんだろうと思っていたわけです。
なんと言うか、憧れといっては変ですけど、あの、一見変わった建物に、妙に惹かれるものがあって”一度入ってみたい”という強い欲求があったのです。
大人になったら、そんなことは忘れてしまって、結局入らずじまいですが・・・。
とにかく、僕が子供のころ、ものすごく興味深く見ていた風景なのです。

こちらで、写真入で見ることができますので、興味のある方はご覧ください。


asahi.comより、記事の全文も転載させていただきます。
豊橋市公会堂(日本)  藤森照信(建築史家)
太平洋越えたスパニッシュ
どこか建てる場所をまちがえたようなとまどいをおぼえる建築である。理由はスタイルにある。市民の集会や催事や文化活動のために作られた公会堂の上に、どうして小さなドームが左右に載り、おまけに大ワシまでとまらなければならないのか。
この建物の作られた31年当時、豊橋は軍都として鳴らしたが、日本の軍はアメリカやドイツなんかとちがい、ワシに特別のシンボル性を与えてはいない。ドームを地球に見立て、世界にはばたけ豊橋市民とでもいうのだろうか。
そもそも見慣れない建築スタイルといわなければならない。ギリシャ神殿ふうの列柱を好む古典主義様式でも、赤れんがのゴシック様式でもない。
あれこれチェックして、出自をうかがわせるポイントが見つかった。それはドームで、色タイルがジグザグ文様に張られている。イスラム装飾である。
とまどいの原因はここにあった。
どうしてイスラムを、と誰だって思う。
設計した建築家の中村与資平(1880~1963)にこの問いをぶつければ、「エッ、イスラムと思ったの。ちがうよ、スパニッシュだよ」と答えるだろう。
正面の五つのアーチの形を見てみよう。ふつうのアーチとはちがう。ふつうなら柱の上からすぐ円弧がはじまるのに、上に少し伸びてから円弧がはじまる。その姿から「上心アーチ」と呼ばれ、スペインの古い教会にも見られる様式なのである。
スペインは、イスラム圏に呑(の)まれたことがあり、そのせいで、スパニッシュ様式にはイスラムの要素が混ざって、独特の味を出している。
どうしてスパニッシュを、と誰だって思う。戦前の日本にスペイン文化の影響が、イギリスやフランスのように特別あったとは聞かない。
実は、スペインから直接ではなく、アメリカ西海岸で20年代に起こったスパニッシュブームが、太平洋を越えて押し寄せた結果なのである。
浜松出身の中村は、東海地方に、この建物の他にも静岡市役所(34年)など、いくつもスパニッシュを実現している。自分の生まれ育った東海地方の明るい日ざしと温暖な気候を、アメリカ西海岸の気候風土と重ねていたのではなかったか。
スパニッシュは、建築的にいうと、東海地方と西海岸をつなぐ太平洋のかけ橋であった。ワシもアメリカ産かもしれない。

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