建築士と建築家

建築士と建築家。

なかなか区別のつきにくい存在ですよね。(ほかにも建築関係者を指す言葉はいろいろあるいますが・・・)
でも、この2つ。似て非なるもので、中身は、かなり違います。

<建築士>
まず、建築士。
こちらは、建築士法に、はっきり定義されています。
建築士には、一級建築士、二級建築士、木造建築士があり、一級建築士は国土交通大臣が、二級・木造建築士は都道府県知事から免許が与えられます。
そして、一年に一回、この建築士になるための試験があります。
この試験に合格して、しかるべき登録免許税や手数料を払って、建築士免許をもらった人が「建築士」というわけです。
つまり試験に合格すればよいだけなので、良い仕事ができるできないは関係ありません。人格が立派な人かどうかも関係ありません。それだけのものなのです。
ただ、この建築士。建築の設計をする上では、持ってなければ話になりません。
日本は、建築設計の分野は業務独占といって、建築士でなければ仕事ができない仕組みになっています。一部の小規模な建物は誰でも設計できますが、用途、構造、規模に応じて、必要な建築士資格が定められています。
この制限がなく、なんでも設計できるのが一級建築士というわけ。
なおかつ、他人から報酬をもらって設計するためには、建築士事務所登録をすることが必要になるのです。
この事務所登録をしないで、設計報酬を受け取ることは違法行為なので、くれぐれも気をつけましょうね。

<建築家>
次に建築家。
こちらは、明確な定義がない(多分)ので、解釈はさまざま。ですので、当然”m-platz流”になってしまうのですけど・・・。
なかには、「建築家=ケンチクカセンセイ」という定義をされる人たちもいらっしゃるようですが、それはちょっと、あまりのも社会と隔絶された方向に行ってしまいそうなので、あまり存在意義がないのではないかとも思ってしまうわけです。
で、”m-platz流”建築家の定義。
「広く建築に関する知識を持ち、同時に社会的良識を持ち合わせ、建築を生業とし、建築に関する社会的責任を全うしている人。」
といったところでしょうか。
つまり、ケンチクカセンセイや建築士に限らず、ランドスケープデザイナーや大工さんなんかも、建築に対する立派な見識を持って、立派な仕事そしていれば「建築家」と言っていいのではないかと思うのです。
こういう定義なら、僕も建築家になれるかも。
なんとなく、自称”○○家”の世界に近い感じもしますが・・・。(汗


ところで、「ケンチクヤ」というのも良く聞きますが、こちらは、「建築を金儲けの道具としか考えてない人々。」といったところでしょうか。
このところ、いろいろ社会を騒がせて迷惑をかけてる「ケンチクヤ」さんがたくさんいますが(もちろん一級建築士の資格を持ってる人もたくさんいますね)、ああはなりたくないものです。

「建築士と建築家」への2件のフィードバック

  1. 自ら考え、生み出していく人は『建築家』(『建築士』)で、言われたことをやっているだけの人は『それ以外』(建築士の資格を持っているだけの人)ということで自分は考えています。
    う~ん、その仕事に自信を持って携わっているかいないかで区別するのがいいのではないでしょうか?
    ちょっと違うかな…?

  2. これって奥が深いテーマですよね。
    職能として建築家を考えると、社会に対する責任って、ものすごく大きなものだと思います。
    そのあたりからアプローチすると、僕なんかは、突き詰めれば突き詰めるほど自信を喪失していくというか・・・。
    まだまだ、未熟ということですね。
    今後とも、よろしくお願いします。

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