“日本橋”論争について考えてみた

現在の日本橋の景観的な醜悪さについては、これまでも様々なところで議論がされているのですが、この度、某首相が首都高の移転を語ってみたり、日本橋自体を他の場所に・・・なんて言い出して見たりする人もでてきたりしたものですから、勝手に”日本橋論争”と名付けて考察してみようなんて思ってみたのです。

僕も、数年前行ってみました。

日本橋自体に、さして興味があったわけではないのですが、それなりに由緒正しい橋ですし、景観論争みたいなのも展開されてましたので・・・。
確かに醜いです。
首都高が覆いかぶさって、陰鬱な感じですし、下を流れている川?も、同様です。
ただそこには、過去に”日本橋”と名付けられた橋が、そこに存在していた事実だけが今も残っているといった感じです。

交通の手段としては、しっかりと機能していますが・・・。

その日本橋の置かれている、あまりにもの環境の悪さをどうにかしてあげようと言うのが趣旨?の発言なのでしょうが、ちょっと反感を覚えます。
もちろん、日本の景観がよくなっていくに越した事はないのですけど・・・。

で、単純に感じる事が、首都高を撤去する機能上の理由があるのか?ということです。
よく調べてないので、耐震性なんかは問題あるかもしれませんが・・・。

国の財政が破綻寸前で、ほかに緊急に整備しなければならない課題が山積している時に、首都の景観が醜いからといって「日本橋の景観を良くしましょう」的なことに金を使うのはいかがなものかとも思うのです。
同じような由緒正しい場所が、経済優先的な考えに押されて、醜い姿を晒す憂き目にあってしまっている場所は、日本全国津々浦々、いたるところに存在するわけですし・・・。
自分の思ったことは、善悪に関係なく強引に進めていく人物の発言だけに心配です。

そもそも、首都高速は民間企業ですし、日本橋の景観と言っても、見方によっては関東ローカルな話題ですから、民間資金と東京都の財政で整備してほしいものです。

これに、危機感を募らせたのかどうかは知りませんが、某都知事は「ならば日本橋を他の場所に移せばいい。」みたいなことを言い出したらしいです。

これこそ、もっとおかしい。
”日本橋”というのは、今の場所にあってこそ日本橋なのであって、もしかしたら、もうすでに”日本橋”という名前の橋は日本全国いたるところにあるかもしれないわけで、ほかに移転してしまったら、”日本橋”は、それらの橋と同等になってしまうのではないかなんて感じるのです。

また、今の橋を他の場所にそのまま移設したとしても、博物館的な保存という意味しかないと思いますし、今の橋自体が”東海道の基点”としての”日本橋”からは既に姿を変えてしまった橋なわけなので、やはり、”日本橋”は今の場所に存在してこそ、”日本橋”なのではないかと思うのです。

で、僕自体は、日本橋の上から首都高を撤去しようには賛成なのですけど、もっと日本の景観がよくなっていく議論を経てでの結果であってほしいなんて思ってしまうのです。

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