郵政民営化を”まちづくり”の視点で考えてみる

僕は、郵政民営化議論を見ていると、釈然としないものを感じる。

まず、郵便事業と貯金・保険事業が同じ次元で扱われている点。
郵政を、経済のみという、きわめて偏狭な視点で評価しようとしているように見える点である。
そもそも、郵政民営化自体がアメリカの圧力により、行われようとしているものなのだから、その必要性の議論自体に無理があるのだろうが・・・・。

それは横においておいて、僕自身は、今言われている郵政の問題は、所有形態が問題なのではなく、それを運用する側の、人の問題だと思う。
だいたいが、財投の資金の流れを問題にするのならば、その流れる先を変える事は可能なのだし、国庫負担のことを言うのならば、黒字になる経営努力をすればいいだけの話である。これは、国営であっても、民営であっても原理原則は変わらないはずである。ただ、それを運用する仕組みと、人の意識が違うだけなのだと思う。

郵政民営化を進めようとしている新自由主義者たちは、経済理論のみで物事を進めようとするが、社会のシステムというのは、そんな単純なものではなく、単視眼的な考え方では解決できないものだと思う。
もっとも、金儲けさえできれば「あとは野となれ山となれ」的な考え方の連中にはどうでもいいことなのだろうが・・・。

さて、今しきりに言われる「小さな政府」だが、そのシステムが国民を幸せにするものではない事は、米国を見れば明らかではないだろうか。
僕がいちばん心配なのは、今の政府に「これからの日本をどうしていこうとしているのか」が見えないこと。
郵政を民営化した先の国家像を、どのように捉えているのか?
郵政を民営化すれば、不採算部門、つまり過疎地の切捨ては、避けて通れないだろう。
過去の、NTT、JRの民営化を見れば、結果は明らかである。
JRなどは、赤字路線をすべて地方に押し付けたのではないだろうか。
(政府の郵政民営化法案では、ユニバーサルサービスを義務付けるようだが、民間企業にそのようなことを義務付けるのはどうかとも思う。)
話が、どんどんそれていってしまいますが・・・・。

まちづくりというのは、経済の理論だけでは推し量れないものがあるはずである。
営利目的の民間企業だけでは、コミュニティを維持するための仕組みは整わないと思う。
つまり、社会のシステム上、どうしても民間企業の経営にはそぐわないものが存在し、その部分は”公”が担っていかなければいけないのである。
今後の日本を想像すると、地域コミュニティの拠点というのは、ますます重要さを増してくると思う。
そう考えた時に、学校・公民館・交番と並んで、郵便局のネットワークは非常に有用なのでないだろうか。
そのときに、郵便局を国が所有していれば、縦割り行政という悪いシステムを改善するだけで、さまざまなシーンに活用できるだろう。
それが、一私企業の所有ならば、それまでである。
(だだ、特定郵便局の場合、郵便局長が自分の建物を提供してたりするのだが・・・。)

どうも、話がまとまらないのですが・・・・。
郵政民営化とは、国民の財産を一企業のものにすることではないでしょうか。
それでなお、その企業が経営に失敗したら国民の税金が投入されるでしょう。
拙速な郵政民営化議論によって、国民の財産を切り売りする前に、郵便局の”数字に表れてこない”存在意義というものを考えてみる必要があるのではないでしょうか。

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